私は何のゲームをしているのか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

この問いの先に在るのは「それから降りて安堵したい」という、完全な解放と自由です。

 

それも一時の解放でなく、今生どころか死した後も尚永遠に続く解放です。

 

輪廻転生の輪から外れる。

 

解脱する。

 

二度と生まれ変わって来なくて済む。

 

涅槃寂静に至る。

 

正真正銘の「何もしない」。

 

そう言った言葉で表現されるレベルの解放です。

 

 

 

あまりにも長期間それと一体化していた為、気付く事が叶いませんでした。

 

しかし、今は完全に気付いていないとしても、「何らかのゲームに没入しているのではないか?」という疑問は抱ける程度には、それとの距離を持てている様に思います。

 

この“ゲーム”は私にとって制限そのものです。

 

“世界”と呼んでも良いですが、私にとってあまり良い意味ではありません。

 

「抜け出したい」と言っているわけですから当然の事です。

 

この千載一遇のチャンスを逃す手は有りません。

 

僅かながらにでもそれと分離出来たのなら、このまま降り切ってしまいたいものです。

 

 

 

仏の悟りとは、このゲームから降りる事ではないですかね?

 

それが可能になれば間違いなく、万人が真の幸福に至れると思います。

 

「何もしない」事以上の幸福って無いと思うのですよ。