ただ、見ているだけ | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

意識そのものとして在る事を考えますと、まず挙げられるのは「ただ、見ているだけ」という事だろうと思います。

 

事の成り行きに干渉も抵抗もしないその様を表現するなら、白隠禅師の「ほう、そうか」のそれと言えます。

 

「何故そこまで余裕を保てるのか?」と言うと、「何かしらが非常に高いから」でしょう。

 

「意識の次元に身を置く」という事は、「それだけ高い何かを有するという事になる」と私は考えます。

 

 

 

さらに付け加えるなら、「意識とは知的好奇心そのものである」と言えるかも知れません。

 

このまま放っておいたらどうなるのだろうか?

 

私の知的好奇心を言葉で表現するなら、そういう事になるでしょうか。

 

観察者?

 

傍観者?

 

ちょっと違う気がしますが、これは突き詰める価値が在るかも知れません。

 

 

 

地球は何らかの実験場と言われる事があります。

 

そして、この世はホログラムと言われたりもします。

 

一見すると両者は食い違う様に思えますが、「何らかのシミュレーションをしている」と考えれば整合性が取れます。

 

何をシミュレーションしているのでしょう。

 

私にも一枚噛ませて欲しいものですが。