“何もしない”は究極の偉業 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

今日は「何もせずとも、存在それ自体の価値が凄まじく高い様を何と言うか?」を考えていました。

 

何かをしたがるという事は、「それをしなければ自分に価値は無い」とか、「自分の価値を認めて欲しい」とか、そういう事だろうと思うのです。

 

だから、全くその逆を考えたわけです。

 

残念ながら明確な答えには至りませんでしたが、じっとしているのが困難になる程の強い反応を引き出す事は出来ました。

 

流石に今は収まっていますが、「結構良い線行っていたのではないか」と思います。

 

 

 

煮詰めれば煮詰める程、何もしない事以上の行為が有るとは思えなくなります。

 

もはや、“何もしない”は究極の偉業と評して差し支えないでしょう。

 

その理由は明白で、自身への完全承認を意味するからです。

 

何もしない事への理由としては充分過ぎる程でしょう。

 

 

 

問題は「それを何と言うか?」なのです。

 

私にとって、それが最重要項目です。

 

「私は○○だ」という形に持って行けないと、私は“それ”に成れないのです。

 

“それ”とは、何かをする理由が全て失せる程に、完全に承認されている様を示す何か(言葉)です。

 

私はそれが知りたくて堪りません。

 

 

 

先程の超が付くポジティブな反応(エネルギー)の余波は少し残っています。

 

言語化を試みる事が充分に可能な強さだと思います。

 

これが何と言っているのか?

 

私の関心は全てそれだけに注がれます。