“彼女”という称号 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「容姿が良いから」という理由で選んだ場合、それは「“見た目”を“彼女”にした」という事です。

 

しかし、あくまで“見た目”は“見た目”であって、“彼女”ではありません。

 

“彼女”ではないので、無理無理「これは“彼女”だ」と思い込むしかないだけで、決して“彼女”にはなりません。

 

これは“好き”でも“性格”でも同じ事です。

 

“彼女”の代わりは存在しません。

 

“彼女”を“彼女”足らしめるのは「“彼女”だから」であって、それ以外を“彼女”にする事は出来ません。

 

“彼女”だから“彼女”にした。

 

“彼女”だから“彼女”になる他無い。

 

“彼女”だから彼女は“彼女”だ

 

これが正しい“彼女”認定の仕方であろうと思います。

 

言わば「純粋な“彼女”」こそ本物の“彼女”で、それ以外の何かを彼女にした場合は「紛い物と彼女」と言えるでしょう。

 

 

 

私にとって“彼女”とは称号です。

 

易々と与えられるものではありません。

 

また、私自身も易々と授かれるものでもありません。

 

内的価値観において余程の基準に達していなければ、「1人で居る方がマシだ」という判定が下されてしまいます。

 

「今までの私は本物の“彼女”を持つに値しなかった」と見て良いでしょう。

 

これからもそうかも知れません。

 

しかし、私は“彼女”と“悟り”に向かう事を止められないでしょう。