私には何時も必ず戻されてしまう“場所”が有ります。
それは“退屈”です。
全てはこの“退屈”の上に成り立っているのではないか。
もう“退屈”のままで良くないだろうか?
それどころか、実は“退屈”はとても良い事ではないか?
そう思ってしまいます。
考えてみれば私は何もしない事に憧れ、その状態を求めました。
それが実現した形が“退屈”なのかも知れません。
折角の機会なので考えてみたいと思います。
“退屈”は悪い事でしょうか?
改めて考えてみると、私は全くそう思っていない事に気付きます。
知らぬ間に「“退屈”なのは良くない事だ」と思わされていたとしたらどうでしょうか?
「“退屈”を愛し、誇る事は不可能ではない」と思います。
「何かしていないと落ち着かない」という状態は、果たして良い事でしょうか?
私はそうは思いません。
他者に意識を支配されているようで歓迎出来ません。
“退屈”は正しい在り方なのではないでしょうか。
望みを全て叶えたら、あるいは何でも叶える力を得たら、最後には“退屈”に近い状態になるのではないですか?
「必ず戻される」という事は、「それがゴールという事だ」という事かも知れません。
“退屈”を私の価値観で再評価する必要があるでしょう。
もし“退屈”を楽しみ、そこに安住する事が出来たら、私が欲しいものは何も無くなるでしょう。
「私の人生はずっと“退屈”凌ぎをしていたに過ぎない」と言っても過言ではないからです。