それを感じるなら、私にもそれが在るという事です。
私が“金持ち”に感じるもの中で最も本質的な要素を悟ったなら、「私は金持ちである」と嘘偽り無い心で宣言する事が出来ます。
そうなれば私は目に見える世界の状況に何の影響も受けない、本当の意味での“金持ち”になります。
私自身が金の成る木、あるいは金そのものとなり、決して失う事はありません。
私が内に“金持ち”を得たならば、間違い無くそうなります。
これは“愛”や“生”や“光”と言った他の要素を得た経験からも明らかな事です。
“金持ち”は何を持っている者の事を言うのか?
私の中でそれを見付けるのです。
既に感じています。
これが“金持ち”が持っているものとは断言出来ませんが、「おそらくそうだろう」と思える程度には可能性が見られます。
これは「私も“金持ち”である可能性がある」という事です。
ほんの数日前は完全否定で無かったものが、今ではあるのです。
「私は“金持ち”ではない」が「私は“金持ち”である可能性がある」に変わっているのです。
これは小さくない変化です。
「“金持ち”ではない私が億単位の金を手にするよりも余程“金持ち”に近くなった」と言えましょう。
感じている要素と“金持ち”が完全に一致した時に全て分かります。
逆を見ている可能性も考慮しつつ、感じているものを見定めます。
今感じているものは何と言っているのでしょうか。
こういう疑問が起こっている時、それはもう答えが近くに在る時なのです。