“生”を受けてから自分からは何の音沙汰もありません。
「これで死ななくても良くなった」とは言えず、求めた答えを得た感も無く、これをどう理解して良いのか分かりません。
私は何かから解放される事を期待していましたが、それは生死とは無関係なのでしょうか。
「死んでも解決出来ない問題が私の中に在るという事だ」と考えるならば、少しは道筋が見えそうな気がします。
死ぬ事が全くの無駄行動なら、私の性質的には「死ななくても良くなった」と言えなくもありません。
確かに「死んでも意味が無いな」という事は感じ取れます。
さりとて、「生きていればどうにかなる」という感じでもありません。
「生死などは問題外」と捉えて良いのでしょうか
そうなると生きる事にも死ぬ事にも意味が無くなります。
生死の概念を超えた先を見据える必要が出て来ます。
…ここまで書くと胸の辺りに反応を感ずるようになりました。
反応パターンから判断すると、そこそこ的を得ているものと思います。
本当に生死の概念を超えた先が見えているか、既にそこに居るのかも知れません。
ただ、“涅槃”という感じではありません。
「凝り固まった何かが在る」とだけしか言う事が出来ません。
しかしながら、これで自分との対話を再開出来ます。
今度は何と言っているのでしょうか。
私が「何と言っているのか?」という疑問を持てる時点で、内的にはかなりの進捗があります。
内的な進捗が無いと、表層意識でそれを掴まえる事が出来ないからです。
生も死も関係無い。
生死の概念を超えた。
今回の問題を解くにはそういう自覚が必要になる“気”がします。
私はその“気”に従います。
「きっとそれは正しい」と思うからです。