「生は死である」と言いたいのだろうか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

ここ数日は目覚めと同時にかなり強い反応に苛まれ、あまり眠れている気がしません。

 

それで体調を崩したりするわけでもないのですが、この反応というのは何かから目を背けているような感じがするもので、長く放置していて良いものではありません。

 

今直ぐに何かすべき事があるような、とにかく「ゆっくり寝ている場合ではない」と言わんばかりの反応です。

 

これ程強い反応が毎朝しつこく続いているという事は私にとって大きな意味が有る事で、求めた何かに関連する内なるメッセージが届いているのだと思います。

 

 

 

もちろん今朝もそれは目覚めと同時にやって来ました。

 

時計をみると5時半くらいで、何時もと大体同じ時刻です。

 

目覚ましに設定している時刻より45分早く、私は「もう少し寝ていたい」と思うのですが、本当に「早く起きろ」と言わんばかりの内なる反応が煩すぎてとても寝れたものではありません。

 

しかし、それが何を言っているのか全く分かりそうにありませんでした。

 

全くアタリも付けられない有り様でしたが、ともかく“死”やら“涅槃”“肉体”やらと、最近取り組んでいる事に関係がありそうな言葉を次々に思い浮かべました。

 

そんな中で4番目に出した言葉が内なる反応を鎮める事になりました。

 

その言葉は“生”でした。

 

“生”という言葉を出した瞬間、その反応は溶けるように消えました。

 

 

 

確かに私は“生”から目を背けていたかも知れません。

 

純粋に“死”を求めていたのではなく、“生”から逃れたかっただけなのかも知れません。

 

そうなると私向き合うべきなのは“死”ではなく“生”となります。

 

明日の朝、目覚めた時にあの反応が無くなっていれば、この考えが正しい事が証明されるでしょう。

 

今は“生”とも“死”とも言っていないように思いますが、“生”こそが“死”を悟る鍵になり得る事は充分に考えられます。

 

何故なら、「望むものを本当の意味で自分のものにしたいのなら、その反対概念を通さないと叶わない」という私の真理が有るからです。

 

「“死”を望むなら、“生”から目を背けてはならない」という事です。

 

とにかく明日の朝にならないと分かりません。

 

今日はここまでにします。