昨日とは形が違うので何かしらの進展は有るのでしょうが、私の中に既に在るだろう答えには行き着いておりません。
簡単に言えば「まだ言語化に至らない」という事です。
言語化に至らないと私がそれを答えだと認識する事が出来ない為、せっかく在る答えも答えとして機能させる事が出来ません。
故に感じているものの言語化は必須です。
私の性質上、何を置いてもそれを成し遂げなくてはなりません。
これは私の果たさなくてはならない義務であり使命です。
…趣味とも好きな事とも言いますが。
この“宝くじ”は外の世界に有るものではありません。
私の中に在るものです。
従って、外の世界の宝くじに干渉しても意味がありません。
「当たった気になって良い気分でいる」とか、そういう事を言っているのではないのです。
それよりも単純はありますが、それよりも別次元で深い理解を私の中で得るのです。
現段階で無理矢理言語化すると「私は“宝くじ”である」という事を理解するのです。
日本語としておかしいので全く理解出来ないと思います。
私もこのままでは全く理解出来ません。
それを理解するのです。
それでも全く糸口が無いわけではありません。
「この“宝くじ”が何と言っているか」を聞き取れれば理解に向けて大きく前進するでしょう。
例えば“富”と言っているなら、「私は“富”である」という形になります。
これなら充分に理解出来る形です。
後はその“富”が反応する方向に進めば富に近付ける事でしょう。
そうではなくて、“宝くじ”が最終形である可能性もあります。
もしそうならその言葉自体の意味をもっと深く掘り下げなくてはなりません。
今、私に出来る事は“宝くじ”に聞き耳を立て続ける事だけです。
やがては“宝くじ”から私にも分かる形で何かが届くでしょう。
私はそれを受け取れる事自体は分かっています。
そんなに難しい話ではないと思いますが、「簡単に解けるような問題を出してくるはずが無い」とも思います。
一番良く無いのは自分を甘く見る事です。
必ずしっぺ返しが来ます。
自分に対しては最後まで誠実に向き合わなくてはなりません。