私の中に誰か居る | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

表現したい何かが在るような気はするものの、それが何なのか見当も付かない日が続いて悶々としておりました。

 

“金”でも“女”でも無さそうで、「これは何だろうな?」と微かに感じるものに関心と意識を注ぎ続けていると、「これは誰だ?」と口に出して疑問を投げ掛けていました。

 

「“何”ではなく“誰”である」という事が重要だったのか、微かだったものが強く反応するようになりました。

 

これこそ私が常に求めているレベルの反応です。

 

意識というエネルギーを費やす価値の有る反応です。

 

これだけ強ければ表現したい何かに近いものに触れているかも知れません。

 

 

 

何年振りの事か、コメントを頂いております。

 

このコメントについてですが、律儀に全て返信しようとすると、私の性質上直ぐに失速して「やっぱりコメントを受け付けるのを止めます」となるのが目に見えております。

 

そこで、「私が私にしてきた事をそっくりそのまま適用しよう」と考えました。

 

これなら間違いなくお互いに最善の過程と結果を得るでしょう。

 

その最善手は「ただ受け付けるだけで承認も返信しない」です。

 

ここに私の全てが込められています。

 

このブログに辿り着き、感じるものが在ってコメントするような人なら、私が何故返信も承認もしないのかを理解出来る事を期待します。

 

私のスピリチュアルは、少なくとも私が真実と思うスピリチュアルは、こういう形でなければ理解する事も伝える事も出来ません。

 

ただ、私が真実と思う答えに「自ら辿り着いた」と思われるコメントに対しては、私も返信せざるを得ないでしょう。

 

そういう人が1人でも現れたら、私のスピリチュアルは対外的にはその役割を終えると思います。