「自分を知る」という事は、「世界を知る」という事だったのかも知れません。
このような事を考えられるのは、意識が世界に向いているからでしょうか。
私はどんな世界を創り、どんな世界に居るのでしょう。
この世界の中で体験する事全てがそれを示しているような気がします。
もちろん、私が内なる世界に没入している事もそれに含まれます。
私の居る世界を一言で表す言葉、知っただけで私の世界を全て矛盾なく理解出来る言葉があるのではないでしょうか?
それが大宇宙の真理、私の真理、私の悟りではないかと思います。
私はどんな世界に居るのか?
この問いに少なからず関心を示すような反応が在ります。
何処と無く面白がっているような感じです。
これだけでしばらく退屈はしないのではないでしょうか?
明晰夢のイメージが湧きます。
夢の中で「夢だ」と気付く夢です。
あれと似た感じになるんじゃないかと思います。
夢の中の「夢だ」は立派な悟りです。
その「夢だ」に相当する言葉が、私の世界に有るんじゃないかと思います。
私が今居る世界の中で「○○だ」と悟った時、私は自ら創った世界から目を覚ますのかも知れません。
いや、世界の方が目を覚ますのでしょうか。