意識に意識を向ける事は、目で目を見るようなものです。
感じる主体が意識であった場合、「意識を感じる」という事は不可能になります。
そうなりますと、「感じたものは自分である」という私の法則が適用させる事も不可能になります。
今までの理屈が通用しません。
よって前の記事で「意識を感じる」と書いたのは有り得ない事のはずなのですが、何故私は「感じているのは意識だ」と思ったのでしょうか?
「感じている物(客体)が意識だ」という意味ではなくて、「感じている者(主体)が意識だ」という意味だったのでしょうか?
そうだとしても、誰が私にそう思わせたのでしょう?
意識が私にそう思わせたのだとしたら、意識は自身の存在を知っている事になるのではないでしょうか?
しかし、悟っている気配は感じられません。
この考察自体が正しくない可能性もあります。
もっと精査しなくてはなりません。