今一度感じる事に頼ります。
「存在する」と「存在しない」の本質は存在です。
…いや、だと思います。
ただ、それを真に理解するには“存在”を感得する必要があります。
「感じているものは“存在”だ」と悟れれば、存在する事も存在しない事も矛盾なく理解出来ると思います。
そうなると、問題となるのは「感じているのは“存在”か?」という事です。
感じているものとその言葉が一致するのか?
感じているものは“存在”と言っているのか?
それだけが問題となります。
今、私に感じるものが在りますが、どうやら“存在”とは言っていないように思います。
色でも空でもないと思います。
“何かが在る”とだけしか分かりません。
まずはこれを突き止めないと話が進みません。
「私が何者なのかを教えているはずだ」という考えをそれに向けると、否定している様子は見受けられません。
きっとそうなのでしょう。
私は何者なのでしょうか?
万物の何れもが私である事は疑いもしません。
しかし、私が知りたいのはその本質です。
人なら人を、宇宙なら宇宙を、神なら神を、それぞれ生み出している何かを知りたいのです。
般若心経ではそれを“空”と表現したのかも知れませんが、私はまだそこに理解が届きません。
“空”だとしたらそれは何か?
私はそれを知りたいわけです。