お金は無形。まさにエネルギー | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

お金の正体が見えつつあります。

「有形無形問わず、何かが存在するとしたら私の中にしか無い」とする考え通り、お金も例外無く私の中に在る事が分かりました。

今手にしている携帯電話もお金だと認識出来ているのがその証左です。

昨日まではお金として見えなかったものが今日は見えているのは、昨日までは無かったお金が今日は在るからです。

後は私が求める形でお金の本質を見出だすだけです。

もう「感じているものがお金の本質である」と言っても良い気もしますが、完全に「それ以外に無い」と悟るまで詰めるつもりです。



お金とは求めるものそれ自体と言えるでしょう。

だったら最初から求めるものを知り、それについての正直な本音を認めれば良いだけです。

現象の一つの形としてお金が現れる事もあれば、そうではない事もあるでしょう。

だから、「お金が無いと何も出来ない」は正しくありません。

お金を現金やそれに類するものに限定しない事です。

限定すると逆にお金を失う事になるでしょう。

お金の形は思っている以上に多用で、自由自在に変形します。

お金は無形。

それもまた、お金の本質の一つなのではないかと思います。

まさにエネルギーですね。

信用も感謝も正しい場合があります。

しかし、信用や感謝に限定されません。

それらもまた、お金の現象の一つの形に過ぎないのです。

お金とはそういうもののような気がします。

般若心経の色即是空を体現したかのような概念ですね。

「本当にお金は高次元の概念だった」と言わざるを得ません。



まだです。

まだ私はお金の本質を掴み切ってはいません。

「時間の問題だ」と言いたいですが、そういう早とちりや油断が目的の達成を阻む最大の要因です。

掴み切ったから「掴んだ」と言えば良く、掴み切る前の「掴めそうだ」は禁物なのです。