少しずつ解かれているように思います。
「そういう自分である」と認め、そういう自分として自在に振る舞う事で周囲を引っ張り、その結果として良い状況に導く事で、スターシードとしての役割を果たせるのだと思います。
そこで問題になるのが「どういう自分なのか?」という事です。
ここに全てがかかっております。
間違った自分として自分勝手に振る舞えば、私も周囲も悪戯に疲弊するだけで終わりますが、正しい自分としてなら、自分勝手に振る舞う事が私にも周囲にも恩恵をもたらす事になるのです。
「自分勝手が他人の為になるなんて有り得ない」と思うかも知れません。
しかし、私に言わせてもらえば「本当の意味で他人の為を思えば自分勝手になる以外に方法は無い」のです。
「これは真理だ」と断じて良いです。
仮に真理では無かったとしても私はそうします。
「感じる」とはやはり、「そういう自分である」という趣旨の事を言っているのでしょう。
しかし、私がそれに気付かないか無意識に拒絶している時、その度合いに応じて「感じる」のです。
全く感じなければそういう自分を完全に受け入れているし、強く感じればそういう自分を強く拒絶しているのです。
私が知るべきはそこです。
拒絶しているのは明らかだし、知れば認める事は確定しているので、後は「どういう自分なのか?」を知る事だけです。
それだけで良いのです。
ヒントは女性です。
そこにまだ拒絶している自分が居て、拒絶していたはずの自分として振る舞う事が私のすべき事で、それが私や周囲の為、特に女性の為になるのです。
「それがスターシードとしての役割に繋がるのではないか」と思うのです。