興味を持たれるのが嫌 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

2日ほど前に不意に「本当は嫌なんじゃないか」と思ったのですが、そのときは何が嫌なのかは全く分かりませんでした。

「今の私には全く関係無い事だ」と思ったので何もせず放置していると、「興味を持たれるのが嫌だ」みたいな事が浮かんで来ました。

「興味とは少し違う感じがするが確かにそうだ」と思った途端、かなり強いネガティブなものが私の喉元の辺りに感じられるようになりました。

今もそれを感じているのですが、端的に言うと“苦しい”です。

実際に苦しさを感じています。

「まだ私の中にこんなものが在ったのか」と少し驚いています。



これは一体どうした事でしょうか。

「苦しさを受け入れろ」という事なのでしょうか。

本当に欲しかったものは、この苦しさの中に在るのでしょうか。

真偽を確かめる為にも、この苦しさの言い分を聞いてみたいと思います。



まず、私はこの苦しさを否定しません。

私の中に在る時点でそれは私なのです。

興味を持たれるのが嫌ならそのままで構いません。

私なら大丈夫みたいなので、人の代わりに私が持てば済む話です。

今までもずっとそうしてきたのです。

それ自体は変わる必要はありません。



私はこの苦しさを理解したいと思います。

今はそれ以外の事は考えられません。