個人的には「また恋をしたい」と思っています。
意識の表層でそう思っているだけみたいで、深い部分ではほとんど反応が無いので、本当にそれを望んでいるのかどうか私にも分かりません。
それに、恋もまた結局は自分に対して(内側で)しているものとは言え、(外側に)恋をする対象も必要になりますし、意志の力で「しよう」と思って出来るものでもありません。
私に対して恋が出来れば手っ取り早いのですが、生憎と自分はエックスジェンダーと言えども恋や性の対象は女性である為、男性である私に恋をする事は不可能です。
ですので、「恋をしたい」と思ったら女性が必要になるのですが、そもそも何故恋を求めるのでしょうか。
私はそこに感情の存在を見ました。
要するに「強い感情を出す事を求めているのではないか」という事です。
確かに、私にとって恋ほど強く感情が出るものはありません。
そう考えると僅かながらに感じるものが出て来ました。
“感情”という言葉にも反応を示します。
ところが、あまり大した手応えでは無かったし、感情というものを何処か「くだらないもの」と考えている節がある私は、「取るに足らない」と捨て置きました。
ふと、「笑いたいのだろうか?」と思いました。
「出したい感情も、“嬉しい”とか“楽しい”とか、そういうものではないのだろうか?」と思いました。
捨て置いたつもりが、良い具合に手放されて割と早く答えを得られたのかも知れません。
私は「別に笑いたければ笑えば良いのに」と思いました。
感情に大した価値は感じていなくとも、「出してはいけない」とまでは言うつもりはありません。
笑いたいが為に感情を欲し、恋を求めているのであれば、笑わない事をやめたら良い話です。
…何だか“嬉しい”のような気がしますね。
それが欲している感情、出したい感情、恋に求めている感情であるように思います。
“嬉しい”を一丁。
そう注文すれば良いのでしょうか?