昨日に引き続き、今日も“お金が無い”と向き合います。
感じていてまず思ったのは、「随分古い感じがする」という事でした。
かなり前からそう思っていたらしく、それが今までずっと続いていて、すっかりそれが自分と一体化しており、「それが自分なのだ」と思い込んでいるかのようでした。
それがどんな自分かはまだ判明に至りませんが、気分が良くなるようなものではない事は確かでした。
次に、「確かにこれなら他人に関心や興味を抱かれるのを嫌がるのも分かる」と思いました。
そういう自分を見透かされているようで嫌だったのだろうし、私自身もそういう自分を見る(感じる)のが嫌だったのでしょう。
私は何かに縛られていると思います。
お金に関する観念(他人の価値観)が私の中に在るような気がします。
そして、私はそれからの解放を求め、「自分を縛るものを無くしたい」と思っています。
観念からの解放は「それに気付く事」です。
「どういう観念が在るのか?」を知った瞬間、それは解体されます。
その時、私は自分の中に“お金”を見付ける事が出来るかも知れません。
「他人の価値観で言うお金は無いかも知れないが、自分の価値観で言うお金は有る」という悟りに至るかも知れません。
そうなれば、もう“お金が無い”なんて言わなくも感じなくもなるでしょう。