“退屈”には深遠な意味が在るかも知れない | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「“退屈”って感じられるものだったんだ」というのは私にとっては意外な発見でした。

何をしようがそこに必ず戻ってしまう、言うなればほぼデフォルトの状態だったので気付かなかったのですよね。

「退屈だなぁ」と無自覚に思う事はあっても、「これは“退屈”だ」と自覚する事は今まで無かったと思います。

“退屈”とは何なのでしょうか?

それを知らずして、「退屈な事は良くなくて楽しい事は良い事だ」と言えるでしょうか?

実は逆の可能性だってあるし、“退屈”には秘められた深遠な意味が在るかも知れません。

“退屈”なんて誰も見向きもしませんよね。

誰だって楽しい事を求めるはずなので、わざわざその方向に行こうとする発想すらしないはずです。

私は「何かを隠すには持って来いの場所だ」と勘繰ってしまうのです。



感じられている事それ自体が意味です。

今の私が“退屈”を感じているのは、今の私に“退屈”が意味の有る事だからです。

愛や幸福、楽しい事は今の私には意味が無いから感じていないのです。

私の考え方や在り方に間違いが無ければ、きっとそのはずです。

「“退屈”が持っている本当の意味を知りたい」と私は思っています。

“退屈”だってそれを教える為に出て来ているはずです。