行動による本音は出て来るまで解らないものかも知れません | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

先週の金曜日から数えて6日目となります。

はい。

やはり、感じるものは形…と言うか性質を変えて続いております。

モヤモヤと言えばモヤモヤですが、落ち込んでいるかのようだった昨日とは違い、今日はなかなかエネルギッシュだと思います。

落ち込んでいようが、エネルギッシュだろうが、感じられる性質に捕らわれる事無く、そこに隠された本音、あるいはそれが何を語っているのかを理解する事が私の目的であり望みです。

…でしたが、これからはもう1つ「理解した上で行動する」という目的を追加しなくてはならないでしょう。

いや、「自分の行動を邪魔しない事」と言った方が適切です。

本音が行動を起こさんとする時は、私は意識の奥に引っ込んでいた方が良い。

…と言うか、永遠に引っ込んだままでも良い。

それは私の意思ではどうにもならない事ですが、あの時のような本音が発動すれば、どのみち私は否応なく消えているでしょう。



モヤモヤの性質はそのままに、ギュッと凝縮されたような感じで鳩尾に在ります。

鳩尾が掴まれているようにも感じます。

行動による本音の表現を求めている。

その本音はスイッチが入れば(目的とする対象を目撃すれば)、直ぐにでも行動として発動するスタンバイ状態になっている。

そんな気がしてなりません。



本音による行動について、1つ思い出した事があります。

実は金曜日のIさんだけではなくて、それ以前にも複数回同じような事がありました。

まず、その行動が起こるまで、私はそうするつもりが全くありませんでした。

それどころか、「とてもではないが自分には出来そうも無い」と思っていました。

早い話が避けていました。

あ、いや、「何をしたいかすら解っていなかった」と言うべきです。

避けていたのも、「何かしらしたい事があるのは察知してはいたものの、何をしたいか解らなかったから」です。

何だか知らない事をするのを恐れた結果、避けるような格好になってしまったと思います。

ところが、その行動が起こると同時に私が何処かに吹っ飛んで、まるで夢の中にでも居るような感覚に陥りました。

その時私は居ませんでしたが、自分が何をするつもりでその行動を起こしたのか解っていたと思います。

その通りの行動が完了した時、吹っ飛んでいた私は戻って来ていました。

その後には「したかった事をやり遂げた」という心からの満足…と言うか、納得がありました。



この事から、本音は行動として出て来るまで私には解らないものかも知れません。

だとしたら、予め知る術がありません。

予想も予測も無意味なものになります。

ただ、断定は出来ませんが、予兆らしきものはあるかも知れません。

それは「その行動が起こる迄に、その相手と複数回接触している事」です。

他にも条件がありそうですが、ここに意識を向けていますと本来の目的を見失い兼ねません。

再び鳩尾に意識を戻します。