神も仏も信じない。これが神や仏が望む事 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私はIさんを愛していますが、Iさんの為に自らの意思を曲げてまで尽くそうとは思いません。

しかし、私かIさんのどちらか一方を犠牲にしなければならない状況に直面した時、我が身を犠牲にして彼女を生かす選択をする可能性があります。

愛とは異なる選択基準があるらしい事は感付いていましたが、その選択基準も愛と呼んでも不思議ではないものでした。

「心の拠りどころにしている」という点において、愛と相違無かったからです。

しかし、愛と重なるようにして在る「自身に対する根拠の無い自信と信頼」や、「神や仏が居るとしたら自身以外に居ない」や、「自身の言葉は私にとって絶対だ」とする考え方は、明らかに愛と呼べるものではありません。

その謎を解いた言葉が信仰でした。

愛とは違う選択基準、愛する者の為であっても曲げる事はしない自分の意思とは、信仰だったのです。

愛する者の為に我が身を犠牲にするか否かを決断するのも、その信仰によります。

こうして、信仰は私の中で愛の上位概念として在ります。

私は私以外に神も仏も信じません。

「神や仏が存在するなら、私が今考えている事をそのまま私に返して来るはずだ」と思っています。

神や仏は自身が信仰される事を望んではいなくて、神や仏を信仰しようとしているその人自身を信仰する事を望むに違いありません。