好かれて嬉しいか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

何故こういう問いが浮かんで来たのでしょう。

私の人生約42年。

如何に非モテとは言え、それだけ生きていると「好きだ」と言ってくれた人は何人か居ます。

今思い返すと、私を「好きだ」と言ってくれた人には全員共通する雰囲気を持っていました。

私はその雰囲気を覚えています。

でも、その雰囲気は私好みではありません。

従って、「好かれても嬉しくない」というのが答えになります。

何故なのか、その理由が解りません。

「つまらない」と思っているような節があるのは確かですが、何がつまらないのでしょう。



これはIさんでも同じ事を感じるかも知れません。

奇跡の大逆転が起きてIさんに「好きだ」と思われたとしても、果たしてそれを喜べるのか、私には自信がありません。

「あのままでいた方が良かった」と残念に思っている可能性の方が高いと思います。

もしかすると、「心の状態が違う」ってこういう意味なのでしょうか。

「好かれる事を喜べる状態ではない」と。



私が欲しいものは私の“心の状態”です。

物でも人でも出来事でもありません。

これはもう「明らかにそうだ」と言えます。

Iさんを求める時、それはIさんに対する正しい心の状態を求めているのです。

Iさんと私が思い描いている心の状態がピタリと一致していないと駄目なのです。



今日はここまでが限界でしょう。