“男”を感じて“お金”を引き出す | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

ドラゴンボールや北斗の拳において、外面的には“戦闘力の高さ”が物を言う世界です。

“幾ら稼げるか”がテーマの世界ではありません。

私がその世界に住んでいて、自身も強く在りたいと心の奥底で望んでいるのに、自らの身体を鍛える事も無く弱いままでいて、それを見て見ぬ振りをしているならそれは問題です。

現れる敵から逃げ、戦う宿命から逃げ、鍛える事から逃げ、寝て食うだけではストーリーが成立しません。

そんな孫悟空やケンシロウが主人公のドラゴンボールや北斗の拳を誰も見たいと思わないし、作者だって描きたいと思わないでしょう。

しかし、それだけではありませんね。

内面的なテーマも伴わなくてはなりません。

孫悟空やケンシロウの価値を決めるのが強さだとしても、出て来る敵に苦も無く無双し続けるだけでもストーリーが成立しません。

元々持っている“強さ”という価値が磨かれていく過程とその内面的な意味にこそ重要な意味があります。

内面的な意味とは何か。

北斗の拳は“愛する事”、キン肉マンなら“解り合う事”、ドラゴンボールなら…何でしょう?

“何だかんだで何とかなる事(希望を持つ事)”でしょうか。



話を現実に戻します。

現実における外面的なテーマは何か?

ドラゴンボールや北斗の拳の様に戦闘力が物を言う世界ではありません。

「如何に戦闘で勝てるか」という世界ではない。

少なくとも、私が見ている世界はそうではありません。

何処に居ても、何をしても常に頭の中でチラつくのはお金と女性です。

冷静に見詰めれば見詰める程、男性としての外面的なテーマは“お金”です。

もはやこれを見て見ぬ振りをする事は出来ません。

私が孫悟空やケンシロウの様に元々強かったなら、私は自身を強くしなければ気が済まなかったであろう事と同様に、万が一元々お金を稼ぐ素養に恵まれていたなら、お金を稼がなければ気が済まないはずです。

私が今見ているのは、「自身にお金を稼ぐ能力が有るかも知れない」という可能性です。

有るならそれを引き出すか、無いなら無いで確りと自覚するまで、私のやるべき事は無くならないでしょう。



その為の鍵は自身の性である“男”です。

この“男”を感じてその道筋を引き出すしかありません。

私の考えている通り“男”と“お金”がセットになっていれば、“男”を感じる事が“お金”を感じる事になります。

“男”を感じて“お金(を稼ぐ能力)”を引き出せるのではないか。

そう思っているのです。