望まない愛し方と愛され方を受け入れる | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

何日間前に、「仲良くしたい」という声が頭に響いていました。

「ん?何だこれは?」とちょっと驚いたのを覚えていますが、愛に関心の全てが向いていたその時の私は深く考える事はせず、「いちいち書くにも値しない」と記事にもせず、その声を捨て置きました。



そして今日、私は「こう考えるとほとんどのピースが埋まる」という可能性を見付けました。

そうならば笑顔を増やせるし、人も寄せ付けるし、愛されもするし、モテるでしょう。

しかし、それは私が全く望まない事でした。

「自分の愛される形、愛し合う形がそれならば、御免被りたい」と心から思うものでした。

その理由は唯1つ、「セルフイメージとあまりに違い過ぎて受け入れられないから」です。

何度か書いていますが、「そんな自分は自分ではない」のです。

その可能性とは、「自分と仲良くしたいのではないだろうか?」というものでした。

それは言い換えると、「自分は他人から仲良くしたいと思われるような存在なのではないか?」という事です。



私は今、この可能性と戦っています。

私は「受け入れたくない」という意思を表明していますが、多分私はこの可能性に屈するでしょう。

自分じゃない感が強過ぎて、気持ちの整理も言葉を上手く纏める事も出来ません。

しばらくジッとしています。