“好き”は必要無い | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

好きである事それ自体は良い。

弱い事それ自体は良いのと同じです。



まず、証明は要りません。

ここでの証明とは、「自分以外の人に認めさせる事」を指します。

自分の弱さを自覚し、【自分にとって外的な強さよりも大切なものがあると解っているなら、外的な強さを手に入れて弱くない事を証明する必要も無い】し、わざわざ「私は弱いんです」とアピールする必要もありません。

外的な強さが必要の無い(評価の対象とはならない)世界に住んでいられるのは、それはとても幸福な事ではないですか?

私は幸福だと思います。

私の中から消えた“お金”も同じ理由でしょう。

お金が必要の無い世界に住んでいられるのは、それはとても幸福な事ではないですか?

私は幸福だと思います。

いや、幸福です。

幸福とは言っても、「呼吸が出来るのは当たり前」くらいの感覚でしかありませんが。



私には有るのだと思います。

恋愛市場、結婚市場に生きなくても良い理由が。

それよりも大切な何かが。

“それ”を悟れば、お金と同じく“好き”も私の中から消えるでしょう。



“好き”が消えるのは構いませんが、“それ”を知らないままなのは勘弁です。

“それ”を悟る事。

私の望みはそれだけです。

…って、今まで何度同じ事を言いましたかね。