受け入れるべき自分はおそらく、“好き”の裏側に居ます。
“好き”ではない。
“好き”の裏側に居る自分を受け入れる事で、結果的に“好き”を受け入れる事とする。
何時ものパターンですね。
それは“嫌い”ではないみたいです。
それはKに抱いている好感の裏側です。
Mに感じている“好き”の裏側は、それとは全く違うと思います。
だから、“嫌い”を受け入れても“好き”を受け入れる事にはならないでしょうね。
私はその裏側を見たいと思います。
今日はその為に使う1日となるでしょう。
見たくなかった自分、人に見せたくなった自分を、私自ら望んで見るのです。
その自分こそ、会いたい自分なのでしょう。
その自分に会いに行きます。
「見たいと望んでいる」と解っているので、その自分も姿を見せるでしょう。