「給料は少なくても良いから自分が出来そうで楽な事を」…みたいな考えが定着していたのは否定出来ません。
単純に「収入は多い方が良いか、少ない方が良いか」なら、多い方が良いに決まっています。
「女性は可愛い方が良いか、不細工な方が良いか」なら、可愛い方が良いに決まっているのと同じです。
可愛い女性に抵抗(受け取り拒否)があった様に、多い収入にも抵抗があるのかも知れません。
そこで試しに「月収50万円ならどうか」と自分に問い掛けてみました。
即座に「無理」という反応が返って来ます。
「多過ぎてとても自分とは釣り合わない」と感じている事が解ります。
感じられるなら話は早い。
後はその「無理」を感じます。
何処かで【お金の制限が外れる気付きに至る】でしょう。
それこそがお金に求めた本質であり、ダイレクトに心で感ずる事が出来るものです。
女性の「可愛い」に相当するものです。
嬉々として受け取る事が出来る様になるでしょう。
感じて→気付いて→感じて→気付いて…というループが繰り返される度、私の意識は純粋に、求める場所へと近付いて行きます。
「月収50万円は無理だ」を感じたわけですから、次は何かしらの気付きが起こるでしょう。
今、その「月収50万円は無理だ」を感じているわけですが、これこそが「月収50万円そのもの」となります。
50万円でも1000万円でも同じ感覚で無理だという事は、数字ではなくて「自分には多いと感じる収入は相応しくない」と感じているのかも知れません。
そうならば、この「無理だ」は「多いと感じる収入それ自体」という事になります。
感じ切らない理由はありません。