「何も無い」と感じるもの。
それが本当の自分であって、「何も無い」のが1番良いのではないか。
私が何を持っても愛さない人は愛さないし、何を持たなくても愛してくれる人は愛してくれる。
心の底からそう思っているわけではありませんが、そう思えるくらいの余裕は生じております。
そう思う切っ掛けになったのはIさんではなく、Kさんでした。
彼女は私が話し掛けると嬉しそうに受け答えをしてくれます。
彼女にとって私は歓迎すべき存在なのでしょうか。
「何も無い自分を愛する事など出来るわけが無い」と強く思った翌日にあたる今日、Kさんはそれを否定するかのような態度を示してくれたのです。
そのタイミングはまるで計ったかの如くでした。
私に対してその様な態度を示してくれた人は、性別問わずに人生の中で片手で数えるくらいしか居ません。
実の親兄弟ですらその中には居ませんでした。
彼女は幾らかは私に本当の自分を見せてくれているのだと思います。
彼女は最初からそうではありませんでした。
受け答えもあまりハッキリしない日が続いていたものの私は悪い感じがせず、「自分を表現し切れていないだけなんだな」と感じていました。
他愛ない挨拶や雑談、アイコンタクトや軽いボディタッチを繰り返すうちに、ゆっくりと今の彼女になって行ったのです。
多分その通りだったんでしょう。
「何も無い自分」から「何かが有る自分」を目指すより、いっそ「何も無い自分を極めてみよう」と思います。
その方が手っ取り早いし、自分を愛する事にも繋がるでしょう。
「どうやって極めるのか」と言えば、それは単純で「何も無い自分こそ理想の自分」という前提に立って「何も無い」を感じ続けるのです。
「何も無い自分など愛せるわけが無い」と心底思った翌日がこれですよ。
変わり身の早さこそ私の持ち味かも知れませんね。