「愛している」と言ってみる | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私は愛を知りません。

だから「愛している」と言ったところで、中身の伴わない「ただの棒読み」になるでしょう。

それでも言ってみようと思います。

その言葉が引っ掛かっているのはそれなりの意味があっての事なのでしょうから。

執着なら手放す事が出来ますが、きっと執着以外の何かも同時に持っているのでしょう。



もちろん、Iさん本人に言うのではありません。

Iさんを感じた時の自分の反応に向かって言うのです。

どんなに手を尽くしても手放す事も上書きをする事も出来なかったこの気持ちを表現出来るとしたら、もうその言葉しか思い付きません。




「これは愛なのか?」ではありません。

その反応に対して確認したいわけではないからです。

「愛している」です。

その反応に対して「愛している」と言いたいからです。

もしかすると、その反応も「愛している」と言っているのかも知れません。



「Iさんの姿は未来の自分だ」という考えも捨てられません。

「自分の未来を今、見て(感じて)いるのだ」と。

それを否定したら多分、感じた未来は永遠にやって来ないのでしょうね。