Bさんとの気持ちの一致を試みる | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

最近Bさんの姿を食堂で見掛ける事が少なくなりました。

昼食に出される食事がイマイチ過ぎて自分で用意する事にしたか、職場の都合で昼休憩をずらしているかしているのでしょう。

彼女の姿を見る機会が減って内心では残念に思っていました。


金曜日の話です。

その日も食堂で彼女の姿を見る事はありませんでした。

しかし、仕事中に10メートル程先で背を向けて歩く彼女の姿を見る事が出来ました。

その後ろ姿を見た時、「もう少し早ければ彼女の顔を見られたな」と思っていると、彼女が私の存在に気付きました。

完全に振り向きはせず、顔を横に向けた形で目だけをこちらに向けたのです。

おそらくその時は私だと気付かずに、「後ろに誰かが居る」という事だけに気付いたのでしょう。

一旦顔を前に戻して、もう一度私を見ました。

私だと解ったのでしょう。

そして私を見たまま、建物の陰に入って見えなくなりました。



「だから何だ」という話ですが、私にとって彼女から見られるという事は大きな意味が有るのです。

それこそ「自分の人生はその為に生きている」と言える程の意味です。

出来る事なら、彼女の意識を乗っ取ってその時何を感じていたのかを知りたいくらいです。

彼女は私が知りたい私を見ている。

そう感じずにはいられません。



彼女の方も私が見ているかどうかを気にしている様に思えます。

迷惑だったり嫌だったりする可能性も有りますが、そういう雰囲気を今のところ感じません。

もし私を嫌がっていたり迷惑に感じているなら、私の方もそうだと感じる事が出来ます。

その人に意識を向ける事を止めたくなり、「見たい」という気持ちが湧いて来なくなるからです。

何よりの根拠は私が「未だに彼女に意識を向けている」という事ですが、心の世界においてそれ以上の根拠は存在しません。



ここで、「私と彼女は同じ気持ちである」という前提で物事を捉えたいと思います。

これは理屈や理論によって推測する事を意味するのではありません。

例えば、「私がBさんを好きだから、Bさんも私を好きなはずだ」という考え方をするのではないのです。

そんな事を私の気持ちは(まだ)言っていません。

そういう前提に立って、私の心が何を感じているのかを理解する様に努めるのです。

以前から「この気持ちが彼女の本体だ」とか、「彼女と気持ちで1つになりたい」とか言っていたわけですから、この試みは私にとっても正しい方向にある事でしょう。



「実は好きでも何でもありませんでした」というオチが待っている可能性も有ります。

それ自体はどうでも良いし、避けるべき可能性でもありません。

避けなくてはならないのは、この機会を無駄にしてしまう事です。

私の人生の目的を知る機会と、私が本当に好きな人と一緒になれるかも知れない機会を無駄にする事は何としても避けなくてはなりません。

「ここまで来ておいてやりそこなうという事はまず無いだろう」と感じてはいますが、完全な結果を得るまでは油断したくありません。