離れて解る対象への気持ち | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「姿が見えない方が心が落ち着く」というのは初めて気が付いた事です。

だけど何か変ですよね。

姿が見えるだけで落ち着かないなら、一緒に居たらどれだけ苦痛かという事ですよ。

本当に好きなら一緒に居ると落ち着くと思うんですけど…。

今までは変な事を変だとも知らなかったわけですから、一歩前進したと言えるでしょう。



何故か「宇宙から見た地球」をイメージしました。

月にでも独りぼっちで居れば、そこから見た地球はさぞ美しく、憧れの存在である事でしょう。

戻る手段が無いのなら、むしろ「見えない方が良い」とさえ思うでしょう。

地球の美しさや地球で過ごした思い出も虚しいだけだからです。

でも、地球の中に居れば美しさも憧れも感じる事が出来ません。

奇跡的に地球に帰還しても、「ようやく戻れた」という感動や安堵は得られるでしょうが、月で感じた美しさや憧れはもはや何処にもありません。

「あの美しさと憧れをもう1度感じたい」と思うかも知れません。

しかし、地球から出れば美しさと憧れを感じるであろう事は想像に難くありません。



Bさんは月から見た地球のようなものです。

今は好き過ぎて辛い程ですが、Bさんの中に入ってしまえばそれも無くなります。

「あんなに好きだったのに、今は特に何も感じないや。もう1度好きである事を感じたい」と思っている自分が想像出来ます。

しかし、好きである事を感じる時、それはBさんから離れた時です。

そうなったら元に戻るのは簡単では無いでしょう。



私は今幸せを感じていませんが、幸せである事を理解しています。

何故ならば、刈谷を離れ、Bさんから離れ、仕事を失って札幌の自分の部屋で独り居る時、間違いなく「あの時は幸せだった」と言っているだろうからです。

ああ、そうか。

一緒に居る姿ではなくて、離れている姿をイメージすれば良いのか。

そうすれば解るんですね。

実際に今、離れていますよね。

さて、どうでしょう?