もう女性を求めなくて良い | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

ようやく「女性(愛)を求めなくても良くなった」と思います。

正確に言うと「女性からの関心を自分が愛されているか否かのバロメーターにしなくて良くなった」のです。

多分、母親に可愛がって貰えた記憶が無いせいだと思うんですけど、「母親からの愛情を得られなかった事が、自分が愛されていない証拠にはなり得ない」という事を知りました。

後は自分の愛を知るだけになりましたが、愛を求める必要が無くなったせいか「別にどうでも良い」という感覚です(どうでも良くはないんですけど)。

逆にその「どうでも良い」が次から次へと愛の証拠を提示されるんじゃないかと思います。

その愛とは私の愛でしょうから、何度か提示されれば「ああ、これが自分の愛か」と理解出来る(気付ける)でしょう。

あ。

「愛されていない証拠が無い」という事は、「愛されている証拠も無い」かも知れませんね。

見付からないかも知れないなぁ。

もしかすると、「愛されていない」という思い込みが無い状態こそが愛されている状態なのかも知れませんね。

そうであれば、今の私はもう愛を注いでいる状態になれているはずなのですよね。

全く自覚ありませんけど。

愛を注いでいもらおうとしている状態は強烈に自覚出来ていたんですけどね。

こんなんでBさんに愛を注いでいる事になるのだろうか?