雑記 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

あまり本腰を入れるつもりは無いが、今後は顕在意識についても軽く研究しようと思う。

何故、人は現実でもない事を思考したり想像したり出来るのか。

何故、その様な能力が備わっているのか。

この辺りに少し関心があるのだ。

潜在意識を研究する者は多いが、顕在意識を研究する者はさほど多くない(と思う)。

だからこそ、私がやるのだ。

時として、顕在意識は自我(エゴ)と同一視され、悪者であるかの様な扱いをされる事がある。

だが、手放しはともかく、受け取りには顕在意識の協力も不可欠と思う。

何が良くて、何が悪いかを判断するのは、顕在意識の領分だからだ。

私は富と愛を受け取ると決めたが、「富と愛は貧や憎より良い」と顕在意識で判断したからに他ならない。

潜在意識から観ればどちらも等価値だが、顕在意識から見れば明らかに価値の優劣がある。

どちらも等価値、同難易度ならば、価値を感じる方を受け取れば良いではないか。

何故、敢えて価値の低い方を選ぶ必要があるだろう。

貴方に寄越せと言う分には遠慮を禁じ得ないが、自分に寄越せと言う事に何を遠慮する必要があるだろう。



「理想のパートナーと共に、富と愛を謳歌する。私が選んだ女性は、この世で最も幸運で幸福な女性の一人となる」

私はこの様なイメージを育てている。

私以外の誰かを含ませ、分かち合う考えを取り入れる事を許容し、愛だの富だの以前は考えるだけでも恥ずかしかった言葉を平気で多用し、この様に大胆な事を言っても嘘を感じない(これが実に大きい)のは、意識の前提を受け取りにシフトした賜物だと思う。

手放しが前提だった時は、とても考えられたものではない。

これを読んでいる人は、ハイテンションな私をイメージするだろうが、私は至って平静である。



モチベーションの増減は見られず、受け取りを前提にした9日前と何も変わらない。

ただ、日々イメージだけが増大して行く。

当然の如くマイナスイメージも湧く。

以前は直ぐ様強引にプラスイメージに切り換える努力をしたものだが、その努力も放棄して湧くに任せている。

出たがっているものは抑え込まずに出してあげるに限る。

その姿勢が、プラスイメージも湧き出し易くすると思っている。



今日の黙想は何にしよう。

決めずに黙想するか。