「悟りたい」ってこういう事です | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

求道者(以下求):如何にすれば悟れるのでしょう。

稲:般若心経をソラで読めたりしますか?

求:一応は。

稲:瞑想とか滝行とかやってたりしますか?

求:以前は瞑想を日課としておりましたが、その様な修行や苦行の先に悟りは無いとお釈迦様が身を以って示してくださっていたと知ってからはやっておりません。

稲:悟りって何でしょう。

求:貴方はブログで悟りについてや悟る方法なるものを述べておられるではありませんか。

稲:正直に言いますが、あれは人から聞いた悟りという概念を、さも自分の理解であるかの様に書いただけです。

求:貴方は悟ってはいないのですね?

稲:いえ。悟っていないとさえ言う事は出来ません。

求:悟りとは何かを知っていなければ、悟っていないと言う事は出来ない。…と言う事でしょうか。

稲:まるで、そう答えると知ってて質問したかの様ですね。

求:それは深読みのし過ぎです。ただ、「悟った者は悟ったとは言わない」という事を確かめたかったのです。

求:貴方が悟りについて得意気に語ったならば、私はこの席を立ったでしょう。

稲:貴方は何故、悟りを求めますか。

求:解りません。

稲:では、悟りを求めないという事ですか?

求:いいえ。求めます。

稲:貴方は今、自分に何を感じていますか。

求:何とも言えぬ、窮屈な感じがしております。

稲:もうちょっと具体的になりますか?例えば束縛とか制限とか。

求:…近いとは思いますが、そこまでキツいものではないと感じます。もう少しぼんやりしていると言うか、薄いと言うか。

稲:モヤモヤして気が晴れない様な?

求:…ああ、先程よりもさらに近い…と思います。

稲:(黙って様子を見る)

求:(黙って感じ込む)



-10分後-



求:やはり駄目ですね。解りません。

稲:さっきも同じ事言いましたね。

求:同じ事を?私、何を言いましたか?

稲:やっぱり駄目…のその後です。

求:えっ?「解らない」と言いましたが。

稲:(沈黙)

求:(沈黙)



-さらに10分後。求道者はボソッと呟いた-



求:私は、「解らない」という事を知っている。

求:いや、解らない私を知っている者が居る。

稲:(目を閉じて沈黙)

求:解らない私を感じている者が居る。

求:「解らない」とはどんな感じなのかを知りたがっている者が居る。

稲:(沈黙しているのではなく、眠っている)

求:私は-



-解らないとはどういう事かを感じたかったのだ-



神や仏が全知の存在だったなら、「解らないとはどういう感覚なのかを味わってみたい」と願ったとしても不思議ではありません。

しかし、全てを解っていれば、解っているという感覚を味わう事も出来ません。

全知は即ち無知であります。

無知である事を解っていて、全知である事を解っていないが、全知である事を解っていない事を解っている者が居る。

このケースでは、解らないという事を感じる事が、求めた悟りだったのです。

この求道者は悟りを求める事を止めるでしょう。