引き離す事が出来たなら、引き寄せる事も出来るはず | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

稲田の“人の引き離し”は神がかり的なものでしたが、それが却って反対の作用に置き換えられた時の信頼に繋がります。

「今度は神がかり的な“人の引き寄せ”を目の当たりにする事になるだろう」と思えるのであります。

稲田には自分の中で決着の付いていない人が一人居ます。

最近は記事に登場させる事が無くなっていますけど、自分と向き合う切っ掛けになった女性がそうです。

稲田のHNも本名とその女性の名前を掛け合わせたものですし、未だに街を歩いている時などに似た風貌の女性を見るとその人が浮かんで来ます。

忘れたつもり、平気になったつもりでいても、深い部分ではまだ何かしらの想いが在る証拠でしょう。

彼女から引き離されて行く当時の事を思い出しますが、その様は本当に神がかっていました。

「彼女を好きだ」と気付いてから僅か数ヵ月の間に、全く予想外の出来事が次々と起こって、面白い様にどんどん引き離されて行ったのです。

「自分が別の県に移動する」というかなり致命的な現実が確定した後にちょっとしたどんでん返しが起こって、「彼女の車で部屋まで送ってもらう」という、当時の稲田にとっては奇跡(これは本当に意外な人のお陰だった)が起こりましたけど、後はそれっきりです。

あれからもう6年が経過していますし、彼女程の女性であれば結婚して子を持っていたとしても不思議ではありません。

そして、何処に住んでいるかも分からず、連絡を取る手段も無い。

しかし、頭で考えるそれら以上の問題は、「自分の彼女に対する素直な気持ちがまだ見えていない」という事です。

自分に素直になると決めて、自分の中から人を遠ざける理由を無くし、「誰か一人に決めても良い」と思い始めている今なら、彼女に対する本音が見えるんじゃないかと思うからこそ、今一度自分の気持ちに向き合う事にしました。

本音であれば「忘れて別の人を求めたい」でも、「彼女を求めたい」でも、どちらでも構わないと考えてはいますけど、この辺りは本当に極限まで素直になり切りたいと思います。

後にも先にも、一人の人間がこれ程長く自分の中に居続けた事はありません。

刈谷に対する想いと近いものを感じます。

刈谷は本当に居心地が良く、初めて訪れた時の「自分は前世でここに居た」という感覚が今も色褪せておりません。

刈谷は「自分が居るべき場所に居る」という感覚を与えてくれますが、彼女はどうでしょう。

彼女に「自分の傍に居るべき人が居る」という感覚を感ずる事が出来るでしょうか。

あるいは、その感覚を感ずる人を求める気持ちが、稲田に本音として在るでしょうか。

じっくりと見詰める事にしましょう。