「どうでも良い」のその奥に在る本音 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

それについて意識していない時、それは「どうでも良い」とも、「どうでも良くない」とも言えません。

これが真の意味での「どうでも良い」であります。

しかし、特定の何かを意識した時には、そこには「どうでも良くないしか無い」と思うのですよ。

「どうでも良い」と思うなら、「どうでも良い事にして、自分の本音を知る事を避けている」か、「自分で決定する事を恐れて誰かに決定してもらうつもりでいる」と思うのです。

貴方が目の前に居たら、稲田が貴方について「どうでも良い」と感じる事は有り得ないわけです。

「気に入ったから側に居て欲しい」とか、「気に食わないからあっち行って欲しい」とか、明確な自己判断や要求が必ず在るはずなのですよ。

他人からの「どうでも良い」を恐れたのも、「自分をどう感じているかを決めて欲しい」という欲求の顕れだったのかも知れません。

これはつまり、「自分で自分をどう感じているかを自分で決めていなかった」と言う事でもあります。

もしくは、「自分はどうでも良い存在だと決めていた」とも言えます。

だから、稲田も常日頃無意識に「どうでも良い」を口癖にしていたのでしょう。

稲田は今後、特定の判断が求められる場面において、「どうでも良い」という言葉を使う事を止めにします。

その時は絶対に自分の意見や判断を持っているはずなので、YESかNOの判断を明確にします。

例えその判断が誰かを傷付ける事になったり、争う事になったとしても、「どうでも良い」という言葉や態度を用いる事はしません。

理由は、「自分がそうされる事を極度に恐れたから」というだけで充分です。

稲田は今後、何かを好きなら好きと、嫌いなら嫌いとハッキリ言うでしょう。

「微妙ではあるがどっちかと言えば好き」なら好き、「微妙ではあるがどっちかと言えば嫌い」なら嫌いです。

そして、他人にも自分を好きなら好きと、嫌いなら嫌いとハッキリ言ってくれる事を求めるでしょう。

自分を「どうでも良い」と言う人よりは、「嫌い」とハッキリ言った人の方を稲田は好きになるでしょうね。

「嫌いです」も「好きです」と同じ愛の告白ですよ。

「どうでも良いです」は一見して「嫌いです」よりはマシに思えますが、気遣っている様で全然気遣いになっていません。

「自分を守る為に、貴方に対する自分の判断を放棄します」と言っているのと同じですからね。