自分の価値観で自分を観る | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

他人の価値観で自分を観れば、自分の中に沢山の長所と短所が見え、さらに好きと嫌いも見えるでしょう。

「自分の○○なところは好き(長所)だが、××なところは嫌い(欠点)」とかね。

稲田はたった今、「自分は自分が好きなのだ」と悟りました。

大切とか大事とか重宝とか、そんなニュアンスの“好き”ですよ。

もはや稲田には、「自分の○○なところは好き(長所)だが、××なところは嫌い(欠点)」という考え方は存在しません。

もう“長所”しかない。

“長所”というよりも、「自分が何かをする上で最も適した性質を持っている」と言うべきか。

貴金属の金って、実際に手に触れた事無いんですけど、鉄に比べて重くて柔らかいそうですね。

今稲田が働いている工場では自動車の部品を製造しているんですけど、仮に金が鉄と同じくらいありふれて安価な金属だったとしても、その材料としては使えないんですよ。

「重くて柔らかい」っていう性質が、車の部品として不適格なわけです。

それは金が鉄に劣るわけではなくて、性質上向いていないだけですよね。

ましてや短所でも欠点でも無い、「ただ単にそうである」というだけです。

金を車の部品に使って、「金は本当に役に立たない駄目な金属だ」なんて言ってる人が居たら、「使う金属を間違えてるお前の方が駄目なんだ」と突っ込みたくなるでしょう。

人も同じですよ。

自分という性質を活かすも殺すも、全て自分次第です。

そして、自分の価値観に基づいて行動を起こす(自分の思い通りにする)のに最適なものが自分です。

だから、他人の価値観に基づいて行動したら、絶対に上手く行かない事になっているのですよ。

たまたまそれなりに上手く行く事もあるでしょうけど、もっと上手く活用出来る道があるのです。

鉄の振りをした金って無理があります。

性質があまりにも違い過ぎる。

それと同時に、他人の振りをした自分にも無理があるのですよ。

それは他ならぬ自分が一番よく知っているのです。

稲田は今まで、「自分さえ我慢すれば周囲の調和が保てる」とばかりに、自分を圧し殺す事が多くありました。

が、それは完全に間違いでした。

周囲の調和を乱してでも、自分には我慢させない事にしました。

元々その様な気質が割と強くあったんですけど、世の常識に著しく反していたので、かなり抑え込んでいましたね。

調和とは、自分の意識の中に在って、自分が感じる事なのですよ。

その自分に我慢をさせてしまったら、調和も崩れてしまうのです。

その調和とは、自分の価値観との調和に他なりません。

他人の価値観とは調和出来ないし、調和させようとすればする程、どんどんズレて行きます。

それが良く解りました。