今、稲田の中には「求めていたのはお金そのものではなかった」という明確な認識が在ります。
そして、自分の価値観におけるお金の本質が見えようとしています。
まだ見え切らないその本質は、しかし「自分が抱えていた疑問や矛盾を一本の線で繋ぐ」という確信を既に抱かせています。
それは稲田の感覚にはフィットしないけれども、愛と呼んでも間違いではないし、結果的に「一人(自分)は皆(他人)の為に。皆(他人)は一人(自分)の為に」の精神が成立してしまうものです。
お金は“それ”を具現化させたもので、“それ”はお金の概念が無かった頃から既に在った事でしょう。
もしかすると、動物や植物にも“それ”が在るかも知れません。
取り合えず、お金そのものに心を煩わせる事は無くなりました。
煩わせる事があるとすれば、“それ”が何なのか、自分の中から見出だす為にあれこれ考えている時だけです。