自分の為に働いているのか、他人の為に働いているのか | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

普通、働く理由は「お金の為」「生活の為」というのが一般的かと思いますが、稲田の場合はそうではありません。

それらは働けば結果的にそうなってしまう事なので、理由にはならないのです。

もし「お金の為」「生活の為」が先にあるのなら、働く以外の手段を採ったっていいはずなのですよ。

そうしないで働く事が先にあるのは、働く事それ自体に何らかの目的があるからだと思います。

ただ、今の稲田は他人の価値観に従って働かされているのか、自分の価値観に従って働いているのか、それが解っていません。



他人の(価値観の)為に働いているのか。

自分の(価値観の)為に働いているのか。

「他人の為に働いても生活が成り立つのだから結果的に自分の為になる」…という考え方は自分を幸せにしない。

自分の前に他人を置いているからだ。

「自分の為に働いて、それが結果的に他人の為になる」…という形がベストだ。

「お金は自分の為に使ってナンボ」と言うのなら、「仕事は自分の為にやってナンボ」という価値観であって然るべき。



この点を考える上でヒントになるのは、「仕事を探そう」と思い立ったその瞬間にあります。

この時本当は“何を”動機にしているのか?

「○○だから仕事を探そう」という形になっていて、その○○が他人の価値観だったならば、稲田は他人の為に働いている事になります。

その価値観が著しく入るお金を制限するものであったとしたなら、放っておくわけにはいきません。



お金が欲しいのでもなく、余裕のある生活がしたいのでもない。

それらを生み出す自分が欲しいのです。

その為には、自分の中から自分の収入を決めている他人を追い出さなくてはなりません。

それが何人居るか解りませんが、一人残らず追い出します。