ここで何かをしたいらしい | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

稲田にとって札幌と刈谷は特別な場所です。

札幌が戻るべき(戻りたい)場所ならば、刈谷は来るべき(来たい)場所です。

もしかするとその反対で、刈谷が戻るべき場所で、札幌は来るべき場所なのかも知れません。

ともかく、全く理由は解りませんが、「札幌と刈谷を行き来したい」と思っている事だけは確かです。

今は刈谷に居ます。

ずっと居るつもりは無くて(そうなったらそうなったで全く結構な事です)、「何れは札幌に戻るだろう」という気持ちを持っていますが、今は札幌に戻りたいとは思っていません。

この街の何に惹かれたのでしょう。

この街に来たいという想いが、結果的に稲田の内面を変化させた(正直な自分へと戻した)事は事実です。

まだ何か在るのでしょうか。

今やりたい事、それは何かと言えば「働く事」なのですよ。

ただ、微妙にニュアンスが違う。

結果的に働く事になってしまっているだけで、刈谷で何かしらの目的が在る様な、そんな感じがしています。

働くだけなら札幌でも良かったし、工場が良いなら愛知県以外にも有ったのに、どうしても刈谷に意識が向いてしまいます。

「札幌で働くよりも賃金が良いから」という理由で選んでいたつもりが、どうやらそうではないらしいのです。

滋賀に居た時も、群馬に居た時も、三重に居た時も、静岡に居た時も、その場所を選んだ根底には常に「刈谷に行きたい」が在りました。

「刈谷に近いから」とか、「何時か刈谷に行く為のお金が欲しいから」とか、何時もそんな感じでした。

「何度も刈谷に行き、その度に札幌に戻る」…を繰り返し、これで何度目か分かりませんが、今も刈谷に居ます。

そして、この街で何かをしたがっている様な、そんな感覚が在ります。

その“何かしたい”という感覚は、今のところ“働く”という形を取っています。

「今やりたい事は働く事」というのは、その様な意味なのです。

この感覚に意識を向ければ、その真意を悟る事が出来るでしょうか。

やりたい事をやっているのだから、そのままやっていれば良いのですが、微妙な違和感が在ると言うか、何か言いた気な自分を感じると言うか、ともかくそれを無視していたくはないのです。

他人の価値観で生きる事をやめ、自分の価値観で生きる事を知っても尚、自分の最奥には半歩届かない感が在りました。

刈谷で本当にしたかった事が解った時、その半歩が埋まるでしょうか。