人間関係における全ての「~ねばならない」を削ぎ落とす | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

刈谷に来てから1週間経った先日、稲田の初出勤日でありました。

車の中での派遣会社の部長が、

「結局人間関係なんだよな」

…と一言。

職歴の多い稲田を(色んな意味で)心配したのか、単なる世間話だったのかは定かではありませんが、「この人は俺が考えている事が解るのか」と思いながら黙って聞いていました。

そう、人間関係です。

人間関係の中において何が気に食わなかったのか、そして自分は何をしたいのか、それを知らねばなりません。

…と言いつつ、気に食わなかった事についての見当は既に付いています。

稲田は自分の正直な気持ちを押し殺し、他人に迎合していた自分が気に食わなかったのです。

「これを言ったら嫌われる」

「これを言ったら喧嘩になる」

「これを言ったら周囲の和を乱す」

「これを言ったら傷付ける」

自分の顔を自分で見る事は出来ないので、想像で語るしかありませんが、おそらくこの時の稲田の顔は媚びたような作り笑いだったと思います。

“何”が自分をそうさせるのか?

自分の“何”を守る為にそうしてしまうのか?

その“何”を突き止めなくてはなりません。

また「~ねばならない」の姿が見え隠れしています。

その「~ねばならない」を削ぎ落とす事で、人間関係の中でしたかった事を見出す事が出来るかも知れません。

もしかすると、それを止めるだけで事は済み、既に理想の人間関係の中に在った事に気付けるかも知れません。

自分がハッキリと発言している姿をイメージすると、「さぞかし快適だろうな」と思います。

「~ねばならない」の正体は“遠慮”でしょうかね。

自分の気持ちを押し殺し、作り笑いをしてまで他人に迎合しようとする事が遠慮なのだろうか?

それって美徳?

遠慮の意味を履き違えているなら改める必要がありますし、それを遠慮と呼ぶなら、遠慮そのものを止めます。