苦労の度合いと得る結果は比例しない。…と言うより関係無い | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「それ相応の仕事をさせる気なら、それ相応のお金を貰わないと受けられない」という稲田の考えは、裏を返せば「自分が感じる労働負荷とお金の多少は比例する」と考えているに等しい事です。

「キツい思いをすればする程、それに伴って受け取る分は多くなければならない」

「大してキツくもない仕事なら、あまり多くを受け取ってはならない」

…と、稲田は自分に強いていて、自分に強いているという事は、他者にも強いている事になります。

今も以前ほど強く表層意識には上がって来ないものの、自分より遥かに労働負荷が軽いのに、圧倒的に収入が上の人を見れば、やはり面白くない気分になります。

稲田の自分に対するお金の受け取り許可は、「如何にキツい思いをするか」が判断基準になっている可能性があります。

「この負荷なら○○万」みたいな基準があって、それを大きく超えてしまうと感じる事はやれないし、受け取れません。

例えば、稲田の最高年収は450万程でしたが、それはそれなりにキツい思いをして得た額です。

仮に「年収600万欲しい」となると、「そのキツさをさらに上回る負荷を自分に課さねばならない」という制限が働いてしまい、やる前から「無理だ」という判断が即座に下されます。

また、「年収450万のまま、労働負荷をもっと軽く」となると、「そんな美味い話があるわけが無い」とか、「あっても自分の能力や経歴でその様な待遇を得るのは無理だ」と何だかんだ理由を付けては、「無理だ」という判断を下すでしょう。

「お金を多く貰うからには、楽をしては申し訳ない」という気持ちは謙虚に見えますが、「こんなに少ないならもっと楽させろ」という傲慢さと表裏一体です。

「文句を言うなら、会社に勤めないで自分でお金を得る手段を確立しろよ」という最もな意見も、今の稲田は何だかんだ理由を付けては「無理だ」と撥ね付ける事しか出来ません。

「お金を得る事」や「労働負荷を軽減する事」が目的ではなくて、「文句を言う事」が目的だからです。

そして、「その文句は、何を解って欲しいが為のものかを察する事」が真の目的となるでしょう。

労働負荷の強さと収入を天秤に掛けている今の状態では、仮に独立起業しても雇われて働いているのと変わりません。

「これだけのお金を受け取ろうと言うのだから、それなりの負荷を自分は負わねばならない」という観念によって、稲田は潰されてしまうでしょう。