約一年半振りに刈谷の地を踏み、真っ先に自分が住んでいたアパートに直行しました。
築20年で1Rの、何の変哲もないアパートでありますが、稲田にとってはまさに世界最高の場所でした。
「後悔先に立たず」と言いますが、アパートの外観を眺めながら「何故、ここを手離したのか」と悔やみました。
「あの時に今の気付きを持ち込めたら、決して手離す事は無かったのに」とも思いましたが、後の祭りです。
「あの頃は良い夢を見た。今もその夢を見ていたいのだろうか」
事実、夢を見ているのでしょう。
稲田は現実から逃げようとしています。
浜松で過ごす現実と、刈谷で過ごした夢とのギャップがあり過ぎているからです。
おそらく、ここまで目の前の出来事と想い出の間に差を感じた事は今まで無かった事でしょう。
稲田が今の職場に居辛い理由は、「一体この職場は従業員(自分)を何と心得ているのか」と感じてしまう程、人を大切に扱っている感じが微塵も無い事です。
午前中の記事にも書きましたが、それは稲田がそう感じているだけの事であって、歴とした事実としてそうであるわけではありません。
「本当は凄く人を大切に扱っているが、稲田が期待する大切さとは質が異なっているので、自分がそうとは感じられないだけ」なのかも知れません。
「貴方(稲田)自身がその職場を、場所を敵視する様な意識だから、そう感じるのだ」と言われても、それは「その通りです」と認めざるを得ません。
今の恋人の前で「前の恋人は良かった」等と口には出さずともその様な意識を持ってすれば、今の恋人もきっと良い気分にはならないでしょう。
話は変わりますが、今帰りの電車の中で『レス・ギブリン著 人望が集まる人の考え方』という本を読みながらこのブログを書いています。
その中には、稲田の知りたかった事がふんだんに記されております。
知識として吸収する分にはそう時間は掛からないと思いますが、これを意識の中に確立させるのは相当の時間を要すると思います。
…と言うか、無理かも知れません。
奇しくも、今の職場はその為にはうってつけの場所と言えるのですが、稲田のキャパシティ的にはもう限界です。
「神は乗り越えられない試練は与えない」と言いますし、稲田も頭の中ではそれに同意していますが、「流石にこれは“逃げなさい”ってサインだろう」としか思えません。
本に書かれている事は至極ごもっともで、異論も反論もする余地がありませんが、「こんな事自分には出来ない!」と頭の中で叫んでしまいました。
今回ばかりは耐え兼ねる気持ちで一杯です。