・結婚するとはどういう事か。
・子供が生まれるとはどういう事か。
・自分が誕生するとはどういう事か。
・お金は誰の、何の為に使うのか。
稲田はこの四つについて、全く理解していません。
理解していないので意味が解らず、意味を見出だせていない為にそれらを求める事も出来ません。
結婚願望は欠片も無く、子供が欲しいという気持ちも皆無、その為に親の想いを知る事が出来ません。
お金についても、本当はそれが何だか解っていないので、本当に正しい使い方をしているとは感じる事が出来ません。
しかしながら、自分が真に求める豊かさを追求しようとすると、必ずこれら四つの要素に行き当たります。
意味の無いもの、つまり空っぽの器だけを欲しがる事は出来ませんし、意味が有っても、器が無ければそれを汲んで味わう事が出来ません。
「コーラを味わいたい」と思えば、必然的にコーラが注がれる器も同時に欲する事になります。
器だけ、コーラだけでは「コーラを味わう」という願望は成就しません。
目に見えるもの(器)ばかりに目が行っても、目に見えないもの(コーラ)ばかりに目が行っても駄目で、両方が必須なのです。
その器となるのが上に挙げた四つの現象であり、コーラに相当するのが自分にとっての意味、つまり味わいたい豊かさであります。
器は既に用意されていますし、コーラも既に用意されている事でしょう。
問題は、「器は目で見えるので容易に見付ける事が出来るが、それに注ぐものは目に見えない為に見付ける事が容易ではない」という点です。
器は他人に頼めば見る事も用意してもらう事も可能ですが、中身は自分で何とかするしかありません。
稲田は豊かさという名のコーラを注ぐ為の器として、それらが在るのではないかと思ってはいるものの、肝心のコーラを見付け出せないでおります。
「豊かさ(コーラ)は自分の中に在る」という事は解っていても、あまりにアタリが漠然とし過ぎていて、なかなか引っ張り出す事が出来ません。
「マグロは海の中に居ると解っているが、マグロが存在しない海域でマグロを釣ろうとしている」「マグロの存在する海域を求めて右往左往している」と言った感じがしている次第であります。
願望でも無いものについて考えるとは、非常に変な気分になりますが、それを避けて通れない気がするのも事実です。
この様に考える事になったのも、「話を聞く事や話す事は、相手との心的距離を縮める事であり、それは最終的には自他の利益に繋がる」という結論に至ったからです。
「距離が縮まる=相手と結び付く=結び付くと言えば結婚」「利益=豊かさ=相手との結び付き+お金」という非常に短絡的な考えに基づいてはいますが、そんなに外れた考えでも無いと感じています。
それ故に、そこに考える意味と価値を見たのです。
結婚も子供を持つ事も願望でも何でも無いと言っておきながら、そこに意味と価値を見ているのですから、心の奥底ではそれを求めているのかも知れません。