稲田の最近のテーマは自立です。
今の時期はカラスや雀の繁殖期であり、同時に巣立ちの時期でありますが、数年前からどういう訳かやたらとそれが気になっていたのです。
雀の巣やカラスの巣が何処にあるか見付けるのがとても上手になったり、雛の鳴き声を遠くからでも察知出来るようになったり、自分でも「何故野鳥の雛に関心を持つのか?」が全く理解出来ませんでした。
「それは自分へ巣立ち(自立)を促すメッセージだったのかも知れない」と、稲田のスピ脳は解釈しております。
野鳥の雛を通して自分の姿を見たのでしょうか。
稲田は自分を幼い子供だったり、奴隷だったり、とにかく他者に依存する存在だと認識していました。
このブログでは結構偉そうな事を述べていますが、その中身は述べて来た事とは全く解離している事実がここに在ります。
37歳はもう良い大人です。
とっくに自立していて然るべき年齢であります。
本日書いたもう一つの記事では「本当の自分に年齢は無い」と書いており、それとは矛盾するのですが、人間としての稲田は「流石にこのまま他者に依存し続ける訳にもいかないな」と思います。
それは「他者に迷惑を掛けたくないから」ではありません。
「他者に自分を決められたくないから」です。
頼んだ覚えは全くありませんが、「決めてくれ」と頼んだのは間違いなく稲田本人です。
今まではその事に気付きもせず、他者に決められる事に疑問を持ちつつも、何となく流され続けて来ました。
流され続けたのは、自分をその様な(幼い子供や奴隷の)役割に設定していたからでしょう。
稲田は巣立てるのか、それとも巣の中に留まるのか、ここからが問題です。
巣の中以外の世界を知らない稲田が巣の外に飛び出す事が出来るのか、またそれを選択するのか、今のところは未知です。
稲田は巣立ちたいと思っています。
もう「時期が来れば」等という待ちの姿勢ではなく、「今すぐにでも巣立ちたい」と思っています。
稲田の表現する巣立ちが具体的に何を指すのか、今は全くイメージが出来ません。
経済的自立や精神的自立も含まれましょうが、どうやって経済的に自立するのか、精神的な自立は何を以てそうで在ると判断するのか、これらはまさに巣の外に在るものです。
貴方が稲田の求める自立をしているなら、稲田は貴方を尊敬するでしょうし、巣の中から飛び出した雛鳥にも同じ感情を抱くに違いありません。
しばらくは“自立”に想いを巡らせる日々が続くと思いますが、本当の自分がこの身体と精神を巣立たせてくれる事を祈ります。