「お金は使うと減る」
これが稲田のお金に対する認識です。
認識ですから事実であり、現象化されています。
この認識では減り続けて当然ですし、あらゆる思考や行動が「お金が減る事」を大前提に起こらざるを得なくなります。
怪我をして出血が止まらない状態をイメージして頂けたらと思いますが、輸血をする前にまず傷口を塞ぐ事を先に考えるのが普通です。
しかし、この認識は傷口を塞がないで輸血をしようとしている様なものです。
お金も同じく、「何処からお金が漏れているのかを見付け、それを塞ぐのが先ではないか」と考え続けた結果、「お金が漏れ出て行く様な認識をしていた事が原因ではないか」と結論付けるに至りました。
漏れている箇所の目処は付きました。
後はその箇所を修復するだけです。
「どうやって修復したら良いのか?」ですが、稲田は常々「見付けるだけで自然に修復される」と考えています。
「恐れの正体を悟れば、その恐れは永遠に癒される」と別の言葉で表現した事がありますが、それと意味は全く同じです。
「お金は使うと減る」と言う認識が修復されると、どの様な認識へ変わる(戻る)のでしょうか。
単純に考えれば「お金は使っても減らない」となりますが、今の稲田はこれを事実として認識するに至りません。
しかし、有り得ない事ではないとも思います。
「食べても体重は増えない」と言う、本質的には同じ事が既に事実として認識されている為です。
一つだけ思い浮かぶ言葉に“循環”があります。
体内の血液は何処も異常が無ければ増減もせず、停滞もせず、全身の隅々にまで過不足無く行き渡ります。
これならば、いくらお金を使っても減らない事は何ら不思議な事でもないでしょう。
循環の中に在っては「使う」と言う言葉も適切ではない気がします。
「脳が血液を使っている」と言うよりは、「脳にも血液が循環している」と言った方が感覚的にしっくり来ます。
ひょっとしたら、お金は血液と同じく「使う物」ではなく、「循環する物」なのかも知れません。