女性との関係に対する恐れ | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

稲田は女性との間に子供が出来てしまう事を恐れる気持ちがあります。

「恐れる」と言う事は、「その正体は真に求めるものである」と言う事ですから、この恐れの正体は見極める価値があるでしょう。

稲田は身体は大人の男性ですから、女性との交際は性の関係を前提において考えなくてはなりません。

何故、稲田の中で性の関係が男女の間において前提になっているかと言えば、「男女の関係(恋愛や結婚)は性の関係で在って、性の関係を伴わない男女の関係は有り得ない」と考えている為です。

その考え自体が誤りであって、性の関係を伴わない男女関係が存在し、それが真に求めるものであるならば、子供が出来るか出来ないかで恐れを抱く事は的外れです。

そうなると、「自分が持っている性欲はどうなるのか?」について、自分で自分に説明が付けられません。

稲田には性欲が在ります。

そして、綺麗な女性を見れば関係を持ちたいと言う反応が起こります。

モテるかモテないか、どちらかを自由に選べるとしたら間違いなくモテる方を選びます。

しかし、子供が出来てしまう事に恐れを抱いているが為に、不特定多数の女性にモテても宝の持ち腐れになりますし、綺麗な女性の存在もまた、自分を欲求不満にさせるだけのものでしかありません。

稲田はもはや、男性として恥じるものは何も無いと自覚しているにも関わらず、この様な歪な“何か”が依然として自分の中に在るのです。

実は例外が在って、「性の関係が無くても良い。そして、子供が出来ても恐れる心配が無い」女性が存在します。

当ブログに度々出て来る、稲田がスピリチュアルを学ぶ切っ掛けになった女性がそうです。

正確に言えば、「その女性を通して見た“何か”と同じものを感じる女性」です。

「その様な女性に対してならば、その女性との間に何が起きても自分は逃げないし、後悔しない」でしょう。

性の関係を持てなくても良いし、子供が出来る事を恐れる事もありません。

逆に、それ以外の女性に対してならば、性の関係が無ければ我慢出来ず、常に子供が出来る事を恐れながらの関係になり、何か問題が起これば逃げ出そうとするでしょう。

稲田が真に求める女性との関係は、

・不特定多数の好みの女性と何の恐れも無く自由気ままに関係を持つ事

なのか、

・本当に「この人は!」と思えるただ一人の女性と出会い、その女性とのみ関係を持つ事

なのか、

・そのどちらでもない別の形

なのかを、見極めたいと思います。

現時点においては上記全てに可能性がありますし、何れが真意でも別に構わないと言う気持ちがあります。

それと同時に、「何となく感覚的にフィットするのは真ん中かなぁ」とも感じるのですが、それも特に「真ん中で在って欲しい」と期待するものではありません。

なかなかに思案のし甲斐の在るテーマで、しばらくは退屈せずに済みそうです。