人は自らの認識に支配される | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

人は自らに対する認識に沿った思考や行動しか起こらず、結果として起こる現象もそれに倣います。

そう言った意味では「思考は現実化する」と言うのは正しいのですが、思考を生み出しているのが認識だとするなら、「認識は現実化する」と表現した方がより本質に近いと稲田は考えます。

稲田は5年程引き寄せの法則や悟りと言った、スピリチュアルな分野を学んでいますが、様々な考察の結果、現段階では「“認識”はこれ以上分離させる事が出来ない、分離の最先端である」と結論付けています。

「認識こそが自分の究極的本質である」と言う考え方なのですが、それを変える事が出来るなら丸ごと自分が変わる事になります。

逆に捉えれば、それが変わらない限りはどんな事をしても変われないと言う事です。

先日は、「性的魅力の無い自分」から「性的魅力の在る自分」へと認識が変わった旨を記事にしました。

元々在った性質に気付いたのですから、「変わった」と言うよりは「取り戻した」とか、「元に戻った」と言うべきでしょう。

先日の記事は、現実化する前から現実化する事が前提の内容になっていますが、稲田自身も本当に現実化するかどうかは分かりません。

「正体を悟る事によって、その悩みは完全に癒される」と言う仮説は、もう事実と認定して良いと考えています。

少なくとも、稲田に関しては間違いなく通用します。

後はもう一つの仮説となる、「自分に対する認識の通りの現実が起こる」…が事実となるか否かが今の焦点となっていますが、完全に未知の領域です。

…未知の領域ですが、今まで学んできた知識や自らの経験を総合すると、どう考えても「それは事実だ」と言う結論を出すしかありません。

後は「果報は寝て待て」です。

稲田は「現実化させる為の行動」は何一つしませんし、計画も立てません。

稲田の考えが正しいなら、それらを必要とせずに現実化するはずだからです。