自らの汚点を隠そうとする時、自分は嘘を付いていると自覚します。
そして、その嘘が罪悪感を伴うものであるならば、隠したい汚点以上の汚点をさらけ出す事になります。
汚点をさらけ出す相手はもちろん自分です。
他者の目は誤魔化せても、自分の意識は誤魔化せません。
嘘を付いている本人が、自分が嘘を付いている事を見抜いているからです。
しかし、稲田は、
「自らが汚点だと認識しているものは、実は美点ではないのか?」
「それを隠そうとするからそれが汚点になるのであって、隠そうとしなければそれは汚点にはならないのではないか?」
「“隠そうとする事そのもの”が汚点であって、隠そうとしている要素そのものは汚点では無いのではないか?」
…と思うのです。
稲田の汚点は、「男性としての強さに欠ける事」「お金を稼ぐ能力に欠ける事」「女性を惹き付ける魅力に欠ける事」ですが、それを隠す事を止めた今、稲田はこれらを汚点だとは認識していません。
もちろん、聞かれてもいないのにこれらをベラベラと喋る事はしませんが、話の流れで自分の事を正直に告白しなければならない状況になったら、隠す事なく喋ります。
これを隠す為に自分に嘘を付くよりも、自分に正直で在る為に汚点を公にする方を選択します。
隠し事は隠すから隠し事になるのであり、隠し事にするからバレたくなくなるのです。
だったら、最初からバラしておけば、その時点で隠し事は消滅し、バレる事の恐れから解放され、自らに嘘を付いて罪悪感に苛まれる事も無く、隠す為の手段や行動に心労を注ぐ必要もありません。
これだけでコンプレックスの解消に絶大な効果を挙げる事が出来ますが、稲田が今注目しているのは、先に述べた三つの中の一番最初の…
「自らが汚点だと認識しているものは、実は美点ではないのか?」
…と言う点です。
もし、これがその通りだとするならば、コンプレックスの解消のみならず、+αが見込まれると言う事になります。
汚点を隠すつもりが美点を隠していたわけで、その汚点を隠す事を止める事は、美点を隠す事を止める事になるからです。
エゴは物事をあべこべに認識する性質が在ります。
貴方が感じるその汚点と正反対の性質を、本来の貴方は色濃く発揮出来るのかも知れません。
色濃く発揮出来るが故に、コンプレックスとなって強く反応を返すのではないでしょうか。