一つの妄想の崩壊 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

女性は劣等感を埋める為の飾りでもなければ、性欲の捌け口でもありません。

今までの現実から鑑みる限り、そう認識する以外にありません。

稲田は今後、それら“のみ”を目的として女性を求める事は無いでしょう。

“のみ”と括ったのは、今までの女性に対する価値観がそれらしか見えなかったからですが、今後はそれらを含めた別の価値観も以って女性を見る事になるでしょう。

稲田はやっぱり外見が好みのタイプの異性には惹かれます(それはもう大好きです)し、性の関心も大いに在ります。

それを否定する事無く、今まで見えなかったものも同時に見、それを以って女性と接しようと思うのです。

女性を外見と性欲のみで見ていた事は、女性を軽んじ、見下していたと言って良いでしょう。

しかしその実は、女性を通して自らを軽んじ、見下していたのです。

その様に自分を否定していた為、「自分は美人に相手にされる訳がない」「自分は男性として弱い」「自分は醜い」と言う形で顕れていたのかも知れません。

稲田はツンツンしているよりも素直な女性が好きである事を自覚し、女性にも「そう在るべき」と求める気持ちがありましたが、それは自分に対して求めていた事だったのです。

それに習い、稲田も変に格好付けたり強がったりするのは止め、素直で在ろうと思います。

「これが36歳の大人が考える事か?」と思うと恥ずかしい気持ちもありますが、今はその恥をかきましょう。

さて、今は女性について「外見や性欲だけではない事」が理解されただけです。

稲田が女性に対して見る本心が何なのか、まだ理解出来ません。

候補として挙がるのは「尊敬」と「愛情」ですが、稲田は両方ともその感覚を知りません。

未だかつて誰も尊敬した事は無いし、愛情を感じた事もありません。

それは、自分は誰にも尊敬された事は無いし、愛情を注がれた事が無いと言う事にもなります。

究極的に言えば、自分で自分を尊敬出来ないし、愛情を注げないのです。

自分の中に見出せていないものは、与える事も受け取る事も出来ません。

尊敬とは、愛情とは、一体何なのでしょうか。

そして、女性とは一体何なのでしょうか。

しばらくはこの事について考えに耽る日々が続く事でしょう。